MAMEBOOKS blog

 こんにちは。2010年から「移動式古本屋」として活動しています。
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 詳しくは↓で。
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    トルストイの民話
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      -- 引用 --
      爐海虜遒砲蓮▲肇襯好肇い凌誉鹸僉国家観、道徳観など、その全思想をうかがうに足るものがあるとして、質量ともに、民話中第一の力作とされており、「イワンのばか」という名称と共に、わが国においてももっとも人工に膾炙している。そこには、汎労働主義もあれば、無抵抗主義もあり、金銭否定もあれば、戦争放棄もあり、真の愛の福音もあれば、徹底的人間平等の思想もあるというふうに、彼のあらゆる思想がとり入れられてあり、しかもそれらが、この物語に書かれてあるほど平易に、明確に、単純に伝えることは、何人にも不可能であろうと思われるほどに手際よく、明快に表現されているのである。
      -『イワンのばか』解説から
      -- 引用終わり --





      トルストイ。

      その名はもちろん知っていましたが、実際に本を読んだことはありませんでした。お恥ずかしい。いやお恥ずかしい。

      絵本『おおきなかぶ』と『人にはどれほどの土地がいるか』がとても好きで、そういえばこれまで幾度も古書店でトルストイの民話集を目にしては通り過ぎていたことを思い出しました。

      レフ・トルストイ。ロシアの小説家/思想家である彼は1828年生まれ1910年死去。広大な農地を持つ裕福な出自/環境ながら、その経歴は少し変わっていたようです。農地改革や農奴解放を目指すものの、あまり上手くはいかず、領地に学校を設立したり、小説家として名声とお金を得てからもキリスト教の「信条にもとづいて自身の生活を簡素にし、農作業にも従事するようになる。そのうえ印税や地代を拒否しよう」としたりしています。

      またその根底には非暴力主義があったとも言われ、最晩年の「1909年と翌1910年にはガンディーと文通して」いたそうです。

      そんなトルストイの民話がぼくはとても好きになりました。短いものだと10ページ未満、長くても30ページほどですから、ひとつをすぐ読み終えられるのもいいところです。

      宗教的な背景があるのでしょうけれども、どのお話も示唆に富んでいて、読み進むのがとてもおもしろいです。その多くに大抵は(金銭的には)貧しいけれども自分(たち)を満たすものが何かを知り、自分サイズの豊かな暮しをする百姓や商人が出てきます。そしてそれを知らず(つまり足元を見ず)、欲に支配されている人間も多く出てきます。

      2016年のいま、日本に住む35歳のぼくが読んでも示唆的だと感じるのですから、トルストイさん、あなたはすごい方ですね。きっとたくさんのものを見て、感じ、悩み、孤独や人付き合いが面倒で、同時に好きだったんでしょうね。人間という動物の持つ習性、その欲や暮しぶりは、あなたの時代からそう変わっていないのかもしれませんね。「豊か」とはなにか。あなたの呼びかけや問いは、遠く時と場所を経て今でも胸に迫ってきます。

      トルストイの民話集。ぼくからのおすすめです。

      ※「」内はwikipediaからの引用です




      -- 引用 --
      「わたくしの時代には(略)穀物を売るとか買うとかいうような、そんな罪なことは、だれひとり考えたことがありませんです。金なんてものも、だれも知ったものはなかったです。穀物なんか、だれのところにでも、ほしいだけあったものでございますよ」

      「わたくしの畑は、神さまの地面でございました。どこでも、犂を入れたところが畑でございました。土地はだれのものでもございません。自分の地面などということは、言わなかったものでございます。自分のものというのはただ、自分の働きということだけでございました」

      「その二つのことがどうして起こったかといえば、それは、人が自分で働いて暮らすということをやめてしまったからでございます。そして他人のことばかり羨ましがるようになったからでございます。昔は暮らしかたがすっかりちがっておりました――昔は、神さまのみ心どおりに暮らしておりました。自分のものを持つだけで、ひとのものにまで目をくれるようなことはなかったのでございます」
      -『鶏の卵ほどの穀物』から
      -- 引用終わり --


      | 今日の一冊 | 20:22 | comments(0) | - |
      読んだ本、これから読む本、読みかけの本|牧野伊三夫『僕は、太陽をのむ』(2015)
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        爐匹海世で、どっかとあぐらでもかいているような、のんびりとしていて、しっかりと地に足のついた、それでいて、なんでもないふうな絵を描きたい。あるがままのことがらを、なんのてらいもなく表現して深く、そしていつまでもあふれでている泉のような魅力。自作を見てそう感じたい。
        - 牧野伊三夫『僕は、太陽をのむ』から



        読んだ本、これから読む本、読みかけの本

        【読んだ本】牧野伊三夫さんの『僕は、太陽をのむ』を読み終わりました

         音楽や絵、文章や詩の向こうに「人」がいることを意識するようになったのはいつからでしょうか。至極あたり前のことですがそれら「作品」と呼ばれるものの向こうには「作り手」がいて、彼らには「性格」や「生活」があります。

         幾通りも幾通りも語られてきたことでしょうけれども、わたしたちが「作品」に向かい合う姿勢には2通りあろうかと思います。1つは、一切の事前情報や付随情報を持たずにそれら「作品」に触れること。もう1つは、その「作品」やその奥にある「人」を(調べ)知りながらそれに触れること。前者は(敢えて言うならば)「作品」それ自体(のみ)に向かいあう「純粋な」(「直観的な」)行為と言え、後者は「作品」のみならずそれに付随する「情報」までをも味わう行為と言えるのではないでしょうか。

         もちろんこれはどちらが「優れている」とか「適している」という類のものではありませんが、わたし個人の体験で言えば、面倒ながらも後者の触れ方を増やしていきたいと思うことが多くなってきました。「作品」の向こうにいる「人」(や「時代」)を知ることで「作品」がより豊かに味わえる。そんな体験が増え、そのような楽しみ方を好むようになってきました。

         このような「楽しみ」をわたしはまず音楽で知りました。音楽雑誌や映画でその「ミュージシャン」の「人」としての側面に触れ、環境や土地など制作の背景、それが作られた「時代」、その作り手が影響を受けたもの、そこに込められた「思い入れ」を知ることで、聴こえてくる「音」がより「豊か」に響いてくるような体験をしました。

         そうしたことが、音楽だけでなく、写真、服作りでも同様に味わえることだと知ったのは、わりと最近のことです。絵についてのそれをわたしに決定的にもたらしてくれたのはアンドリュー・ワイエスという作家でした。「最も過小評価され最も過大評価された作家」と評されることのあるこのアメリカの絵描きは、生涯を通じて身近な風景や隣人たちを見つめそれを題材として描き続けました。一見するとなんでもない風景や普通の人々がそこに描かれているのですが、彼自身と彼の制作の背景 - 彼の生い立ちや、画家であった父との関係、どのようにして描くのか、なぜスケッチを繰り返すのか、どのような時に「描きたい」と思うのか - を知ることで、彼の絵から見えてくるものや感じられるものが変わってきました。無論、それは「わたしのなか」での変化です。彼の「作品」は変わらずにそこにあります。だからこれは、「作品」を味わう「鑑賞者」としての「わたしの側」の「楽しみ方」なのだと思うに至りました。わたしは「作品」の「もうひとつの楽しみ方」を「発見」(「体得」)出来たのです。


        犹綾什个鬚垢たある頃から、僕は自作のなかに、自分の原風景をとりいれたいと思うようになり、時間を作ってたびたび東京から郷里の小倉へ帰省しては、生まれ育った町の周囲をうろうろと歩きまわるようになった。それまで、いろいろな絵を見て、本物だなと思う絵にはどこかしらその作家の原風景が投影されていると感じ、自分の原風景とはなにかと考えはじめたことがきっかけだった。


         牧野伊三夫さんという人に、わたしはこれまで特別意識することなく触れてきました。その多くは「雲のうえ」という北九州市のフリーペーパーでのもので、本や雑誌の挿絵なども記憶にありました。

         わたしのなかの「牧野伊三夫さん」は鉛筆でのドローイング画がまず連想され、そこにわたしは水墨画のような風流さやある種の心地よい「流れ」を感じていました。モノクロの世界のようなどこか物憂い感触を抱いてもいましたが、ひょろりとした線からは同時に軽快さや、あるいは野性味のようなものも感じていました。時々ドキリと、ハッとするような牧野さんの抽象画にも出逢っていましたが、それらをわたしは「分からない」と思い、それ以上進まないことが多かったです。

         「牧野さん」という「人」にわたしは次のようなイメージを抱いていました。酒飲みで、陽気で、まるで流しの音楽家のように絵を描く人、何か対象に触れ、ささっと描くことが出来る人。今思えば、それはとても勝手で可笑しくも思うのですが、そんな「イメージ」をいつの間にやら抱いていました(なぜだ。。)。

         本書『僕は、太陽をのむ』は、牧野伊三夫さんが同人誌『四月と十月』などに発表されてきた文章を纏めた画文集です。古いものでは2001年に書かれたものもあります。勝手に膨らませていた人物像や鉛筆画のなごやかで軽快なイメージから、やわらかで(どちらかと言えば)明るい文章を想像していた部分がありました。ここで綴られる牧野さん自身の言葉たちは、それらわたしのイメージを覆すものでした。

         主に「絵を描くこと」や「暮し」について綴られた文章のなかには、時々ドキリとするような弱さや脆さが含まれています。2011年4月、「余震のつづく東京で」とメモされた文章で牧野さんは爐弔蕕ぬ襪蓮部屋の電灯を消して、まっ暗なところにロウソクを一本灯して酒をのむ瓩板屬蝓∧名呂任郎監C蚓匹気鵑痢嵋佑論験供低空飛行をつづけるのだ」という言葉を引用し、また別章ではふいに爐っと、自分が地上にいる残りの時間も、思っているほど長くはないのだろう。(略)描くこと以外に時間の使いかたを思いつかない瓩箸いΠ貶犬鯆屬蕕譴討い燭蠅發靴泙后自らの作風を考えていった時に自身の故郷やルーツをそこに投影させていこうと意識した想いや流れ、「音楽を描くこと」を発見していったことについての文章たちは、とても興味深くわたしに映りました。そこには、どこか侘しさのようなものを身に纏った、脆くも力強い(と感じる)「人間 牧野伊三夫さん」がいました。


        爐佞繁佑眥擦砲覆辰討澆燭い福△隼廚Αもう人間でなくてもいいかな。


         20代でサン・アドという大手広告制作会社を辞められた牧野さんの眼前には、「画家」として身を立てるにあたりどれほどの不安や悩みがあり、どれほどの孤独の時間があったのだろうかと想像します。そしてその想いは、今現在の牧野さんの胸のなかでどれほどに変わり、どれほどに変わっていないのだろうか、とも。

         本書を読み終えたわたしは、今、とりわけこれまで「分からない」と思ってしまっていた牧野さんの抽象画(この言い方こそが「抽象的」ですよね。すみません)に出逢いたいです。紙に色を塗りつけたような、色を叩きつけるように描かれた絵がもう一度見てみたいです。そこにはどんな想いが込められ、わたしはそこに何を見るのか。絵の向こうに、今までと違う表情の牧野さんが居るように感じます。本書がそれをわたしにもたらしてくれました。

         「四月と十月文庫」の第6番。「知るは嬉しい」、そう思わせてくれる一冊でした。







        牧野 伊三夫『僕は、太陽をのむ』
         出版年月日 2015/12/17
         ISBN 978-4896293074
         152ページ

        若い世代に人気の美術同人誌『四月と十月』を主宰し、本シリーズ「四月と十月文庫」の生みの親である画家・牧野伊三夫のはじめての画文集。軽妙な温もりのある筆致で心をなごませる文章は昭和の匂いが漂い、郷愁を覚える。また豊富に収めた絵画、素描作品は素朴で混沌として力づよく生命感に溢れている。酒と銭湯をこの上なく愛し、少年絵描きの心をもち続ける画家・牧野伊三夫の詩のある画文集。

        ▼『四月と十月文庫6 僕は、太陽をのむ』|港の人
        http://www.minatonohito.jp/products/178_01.html




        ≪こちらも参考に、のリスト≫

        ◆映像|美の鼓動 - 2015.11.29 画家 牧野伊三夫|九州産業大学提供
        http://www.tnc.co.jp/kodou/movie/kodou34.php

        ◆映像|『雲のうえ』23号の制作風景|九州朝日放送「KBCニュースピア」2015/12/9 放送
        http://www.kbc.co.jp/movie/?id=3564

        ◆遠藤哲夫ブログ「牧野伊三夫さんは『僕は、太陽をのむ』、おれは酒を飲むだけの日々。」2015/12/23
        http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2015/12/post-9b7c.html


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        読んだ本、これから読む本、読みかけの本|福嶋聡『希望の書店論』(2007)
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          爐修發修眇佑蓮⊆分の欲望を満足させるよりも発見するために書店に行く。自分が何を読みたいかを明確に把握している人にとっては、今や手間もかからず送料も最低限に抑えられたネット通販で十分である。
          (福嶋聡「社会と時代を映し出す、書店と図書館の書棚」より)

           

          読んだ本、これから読む本、読みかけの本

          【読みかけ】福嶋聡さんの『希望の書店論』を読んでいます

           福嶋 聡(ふくしま あきら)さんはジュンク堂書店難波店の店長さん。大型書店で働く人たちは、日々何を考え、何に頭を悩ませ、何に喜び、どう本を売っているのか。なんだか随分上段の問いから始まってしまいましたが、そんなことを考える時があります。

           ぼくがMAMEBOOKSをやっていてお客さんから言っていただくことの多いものに、「こうして誰かと犢イな本の話瓩出来るって嬉しい。本屋さんに行っても図書館に行っても、誰かと本について話すことってないから」というものがあります。それを聞いて、いつも、「ああ、そうだなあ」と思います。それが「良い」か「悪い」かはひとまずここでは置いておいて、自分自身の体験を振り返ってみても、「ああ、そうなんだよなあ」としみじみします。

           さて。ぼくが福嶋さんのお名前を知ったのはつい最近のこと(勉強不足にて毎度お恥ずかしいです。。)。きっかけは『図書館雑誌』という雑誌に載っていた福嶋さんのテキストでした。そのテキストを読んで、ぼくは大げさでなく感銘を受けました。
           


          ※『図書館雑誌』2015年10月号(VOL.109 NO.10)
           

          『NOヘイト!』フェア

           図書館雑誌2015年10月号、特集は「展示の力を考える」。この雑誌には基本的に図書館関係者が寄稿されているようなのですが、10月号には書店員である福嶋さんのテキストがありました。タイトルは「社会と時代を映し出す、書店と図書館の書棚」。このテキストで福嶋さんは図書館での「展示」と書店での「フェア」、書架と書棚の対比をしながら、それぞれの特性と違いについて思いを巡らし、また、ご自身がお店で取り組んでこられたフェアについて書かれています。福嶋さんが2014年末から難波店で行ってきた≪『NOヘイト!』フェア≫(「店長本気の一押し!STOP!ヘイトスピーチ、ヘイト本『NOヘイト!出版の製造者責任を考える』」)に少なくない反響があったこと、新聞に取り上げられ、一部お客様からのクレームがあったこと、その経緯や対応についても綴られています。実際にこのテキストを読んでいただきたいので詳細は省きますが、このフェアに挑む福嶋さんの姿勢や考え方にぼくは大いに共感し、思うばかりでなくそれを書店という現場で実践されていることに感銘を受けました(また、このテキストでは TSUTAYAが運営する武雄図書館についても触れられています)。

          『図書館雑誌』は多くの公共図書館に所蔵があると思いますので、ぜひ目を通してみてください。
           

          狃馘垢剖个瓩覆ら、(一部そのことを利用して)図書館で本を借りる「けしからん書店人」であるぼくは、図書館を自分のための「巨大な書庫」にしたいと思っているのだ。
          爐修Α△椶は「図書館を利用する書店人なのだ」。
          (福嶋聡『希望の書店論』より)

           

          希望の書店論

           それがきっかけで福嶋さんのことが気になり始め、まず今回の本『希望の書店論』を読んでみています(こちらは図書館で借りました)。半分ほど読み終えたところなのですが、とてもおもしろいです。

           本書は2007年刊行(2006年までの7年間のwebコラムを纏めた内容)ですので扱われているトピックは今となっては「旬」とは言い難いものも多いですが、いち書店人さんがやったこと、取り組んだこと、その過程、その間に考えてきたこと、悩んできたこと、大事にしてきたこと、出来たらいいなと思ってきたこと、などを知ることが出来、ぼくにとって視野を広げる豊かな読書体験となっています。そしてやはりこの方は「考える人」なんだなと感じます。

           当たり前のことかもしれないですけど、こんな風に日々「考えて」いる書店人さんが日本のどこかに実際に「居る」こと(しかも結構キャリアがある)を、こうして本を通じて「知る」ことが出来る。それがぼくには嬉しいことでした。

           そして、福嶋さん自身が頻繁な「図書館利用者」であることも、なんだかその存在を近しく感じるポイントでした。ぼく自身は(大型でも小型でも)書店で働いた経験がないため、「書店」と「図書館」の関係というか両者の立ち位置がよくわからないのですが、確かに、はたと気づけば「書店」と「図書館」を横断するような動きをしていらっしゃる方って、意外と珍しいのかもしれませんね。


          「顔が見える」 書店人

           少し戻って、もう一度考えてみます。ぼくらはなぜ書店で誰とも話さずに帰ってくるのでしょうか。

           元々ぼくはCD屋店員として20代前半を過ごしてきたのですが、思えば、今でこそ少なくなってしまいましたが90年代のCD屋さんやレコード屋さんには「名物店員」と呼びたくなるような方がいましたよね。癖のある、だけれども知識豊富な名物店員/名物バイヤー。雑誌でレビューやチャートを書いていた店員さんを少し緊張しながら遠巻きに眺めてみたり、何度か話してオススメを教えてもらえるようになったり、お店のポップに書いてある署名(ニックネームであることもしばしば)からその人のレコメンドを追いかけたり、そういった経験がありました。岩城ケンタロウさんや相良くんが働いていた「stylus Record」などは、まさに「目的のもの」を買いに行くよりも「発見」に行く、あるいは「人」に「会い」に足を運ぶようなお店でした(少なくともぼくにとってはそうでした)。一方、「本屋さん」ではどうなんですかね? なかなかそういった方(の存在)を聞かない(聞かなかった)ような気もします。つまり、なかなか「顔が見えない」(もちろん、すべてがすべて顔が見えなくちゃいけない、と言いたいわけではありません)。これ、ぼくだけの思いでしょうか。

           本書を読み進め、ぼくはいつか福嶋さんにお会いしてみたいと思い始めています。福嶋さんが働いているお店にも行っていみたい。そして、「現場」であり「書籍販売の最前線」にいる同時代人の書店員さんが「今」何を感じているのか、それを継続して「知りたい」と思うようにもなっています。これは、(もちろんその考え方や姿勢に勝手ながら共感することが多いのも大きいとも思いますが、)本書などによって「福嶋聡さん」という「書店員さん」の「顔」が見れたからだなあと思うのです。

           というわけでまずは本書後半を読み進めるのが楽しみです。
           

          燹峺共図書館」という名称そのものが、誤解を生じさせるかも知れない。「公共」という言葉のニュアンスが、日本とアメリカでは決定的に違っているからだ。日本で「公共」というと、「お役所の手によるもの」との印象が強い。アメリカでは公益を担うのは市民であるとの意識が強い。だからこそ、「地域でどんな情報が必要とされているかを最も熟知している立場にある」司書が活躍できるのだ。
          (福嶋聡『希望の書店論』より)

           






          福嶋 聡『希望の書店論』
           出版年月日 2007/03/01
           ISBN 9784409240779
           224ページ

          21世紀、本をめぐる世界に何が起こったか。日本最大の書店現場から見る、希望に満ちた同時代レポート。
          99年から人文書院ホームページにて続く連載コラム「本屋とコンピュータ」、待望の書籍化。書店人、福嶋聡の現場からの思考実践報告。

          1999年から2006年までの連載をテーマ別に再構成し、書下ろしを付す。2000坪という日本最大規模の書店のレジに立ち続ける書店人から届いた、書店と出版をめぐる鋭いエッセイの数々。書店現場へのコンピュータの導入や、インターネットの普及、ネット書店、電子出版の登場など、本をめぐる環境が激変する時代の希望とは? 本と出版に興味をもつ人必読の一冊。「書物というのは、とても魅力的な商品である。だからこそ、書物を販売する書店人という職業は魅力的なのだ。」




          福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
          1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。




          ≪こちらも参考に、のリスト≫

          ◆本書の元になったコラム「本屋とコンピュータ」は現在も人文書院のwebサイトで続いています
          http://www.jimbunshoin.co.jp/news/nc654.html

          ◆WEBRONZAにも不定期で寄稿されています
          http://webronza.asahi.com/authors/2012060800007.html

          ◆『NOヘイト!』フェアの模様|まとめサイト ジュンク堂書店難波店が「店長本気の反在特会キャンペーン」を開始し話題に
          http://matome.naver.jp/odai/2141960867487817501

          ◆こちらの新聞記事も話題となりました
          http://twitter.com/camomille0206/status/671907412312514565/


           
          | 今日の一冊 | 17:48 | comments(0) | - |
          私にとって芸術とは見ることである。|『ワイエス展 - ヘルガ』図録から
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            アンドリュー・ワイエスの凄さに思いを馳せるとき、そのひとつは「見ること/視ること」だと思ってきました。写真やカメラが今ほど身近でない時代に、あのように写実的で美しい絵を描いたワイエス。それが生まれるまでには、彼の豊かで実直な「見ること」その行為があったのだろう。彼の絵を見る度にぼくはそう想像していました。

            見て、記憶して、育てて、描く。描きながら記憶のなかで培養されたイメージをなぞって作り上げる。

            今日、画集『ヘルガ』に出逢い、この一文を見つけました。本は手紙です。遠く育った人からの、遠く生きた人からの、静かで雄弁な手紙。ぼくの想像が、少しはワイエスさんと通じていたようです。嬉しいな、ああ、嬉しいな。

            引用|
            私にとって芸術とは見ることである。眼と感性でしっかり見なければいけない。どちらが欠けてもうまくはいかない。それが私の芸術だ。
            - アンドリュー・ワイエス



            | 今日の一冊 | 22:13 | comments(0) | - |
            くるり詩集(岩崎書店 2010年)
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              メジャーデビューは1998年。30代40代の方はきっと1枚くらいCDを買っているのではないでしょうか。CMソングや映画主題歌もある、ぼくらの世代の「みんなのうた」バンド。

              2010年に発行されたこちらには「東京」「ばらの花」「ロックンロール」「ハイウェイ」など36の詞を収録(ぼくの好きな「ハム食べたい」も入っています)。なかでも13の詞では手書きと曲解説の書かれたページもあり、その詞の奥行きやストーリー、作詞家の温度を伺い知ることが出来ます(ぼくの好きな「ハム食べたい」は残念ながら解説されていません)。

              音楽家の詞(ことば)はメロディーから自由になれますか ?

              詞を目で追うごとに頭がメロディーをなぞりだし、ぼくはなかなか切り離して読めません。それでもぱらぱらとめくっていると、馴染んだはずのメロディーから解放された言葉がすっと入ってくるときがあります。

              たった一かけらの勇気があれば
              ほんとうのやさしさがあれば
              あなたを思う本当の心があれば
              僕はすべてを失えるんだ

              晴れわたる空の色 忘れない日々のこと
              溶けてく景色はいつもこんなに迷ってるのに
              8の字描くように無限のビート グライダー飛ぶよ
              さよなら また明日 言わなきゃいけないな
              |「ロックンロール」


              (曖昧な言葉なのであまり乱発を好みませんが)ぼくらの「世代」の記憶に染み込んだメロディー。そこで囁かれていた言葉たちにもう一度出逢ってみませんか ?





              くるり詩集 岩崎書店 2010年




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              → motionisemotion[at]yahoo.co.jp
               
              | 今日の一冊 | 00:12 | comments(0) | - |
              読書メモ|キャスリン・ハリソン『キス』
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                《若くして結婚した父と母は、娘が生まれるとまもなく離婚、成長した娘は大学生となり、父は離れた町で牧師として新しい家庭を築いた。そして、運命の再会、父は娘の美しさに目を奪われ、娘は父の登場に心を奪われる。やがて二人は、近親相姦という暗い谷底へと落ちていった・・・全米を震撼させたベストセラー。著者自身の実体験を真摯に綴った、人間存在の根源に迫るノンフィクション。》

                誰かを好きになることや誰かを愛することはどんなことでしょうか? その謎に、そのロマンに、わたしたちは歳を重ねても無垢で、素人で、だからこそ怯え、歓待し、そして喜ぶのではないでしょうか。

                誰かに愛されること愛されたいと願うことはどんなことでしょうか? その手の届かなさと充足感に、わたしたちは歳を重ねても無垢で、素人で、だからこそ凍え、歓待し、そして喜ぶのではないでしょうか。

                恋心は勘違いに似ている、と言われることがあります。熱に浮かされる偉大なる錯覚。では、それはどのように始まるのでしょうか。手を繋ぐ、抱きしめる、口づける、その先。体温を交差させる「行為」がわたしたちの導火線に火を点ける。それは、どれだけテクノロジーが進歩しても変わらない野蛮なる動物的本能といえるのでしょう。

                わたしたちは一生で何度その熱に浮かされ、何度ウィルスが抜けるように夢から醒め、何度二日酔いのようにその余韻にひきずられるのでしょうか。

                この物語の主人公は女性。長らく離れて暮していた牧師の父と若き娘、そして娘を上手く愛せなかった母。その「関係」は傍から見れば倒錯していて、残酷で、「他者」が救済すべきものと映るかもしれません。

                けれども、ある「一瞬」が彼らを変えます。「非常識」「不謹慎」「変態」「偏執的」とどれだけ倫理をふりかざしても「心」は確かに熱に浮かされ、その「感触」その「爆発」その「充足」その「喜び」こそが当人にとっては「真理」であり「拠り所」であったのです。

                愛されたいという「渇望」は人を「盲目」にし、「独占」や「裏切り」「嫉妬」を生みます。なかったはずのものの出現でバランスは動き、あったはずのものの喪失でバランスが崩壊し、やがてわたしたちは夢から醒めます。もはやそれが「夢だった」と認める時がきます。それは「愛」だったのでしょうか。「恋」だったのでしょうか。はたまた屈折した「エゴ」か「欲」か、「復讐」だったのでしょうか。

                昼ドラ以上にドロドロした要素があるにも関わらず、半ば諦めたかのように冷めた/醒めた筆致とポエティックな文体で綴られる生身の人間のストーリー。「わたし」である娘、父、母、祖母、祖父の豊かな心理描写。絡み合う関係。

                ある時「絶対」と感じたなにかが「絶対」でなくなることを、大人になるにつれわたしたちは知っていきます。どれだけ愚かで弱くとも、わたしたちは時にその「絶対」に魅せられ浮かされ突き動かされてしまうのです。そしてそれが「勘違いであった」と判ってしまってからも、かつてそこにあった「一瞬」のきらめきを抱えながら生きるほかない時もあるのです。

                誤解を恐れずに言えば、とても残酷なはずなのにわたしはこの物語(記録)がいとおしいです。そこにある「苦悩」に慄き、心を抉られ、そしてそれを抱きしめたくなります。「愛されたい」と願うわたしたちの、愚かで残酷でいとおしい姿を。
                 

                引用|
                われわれはみな、われわれを愛した人たちによって作りあげられ、作りなおされる。そしてその愛が消えても、いつまでも彼らの作品でありつづける――多くの場合、その作品は作ったその人にもわからない。しかも、夢見ていたとおりの作品ではない。
                フランソワ・モーリヤック『愛の砂漠』から
                |6ページ
                彼はペンをわたしに渡す。ペンの軸は彼の肉体の熱の名残で生暖かい。「ふたつの交わる円を描きなさい。ひとつはおまえで、ひとつはわたしだ。交わる部分の面積は、おまえがどれくらいわたしのそばで生きていきたいかを示す。わたしたちを結ぶ場所だ。ふたりを結ぶ献身の度合いだな」彼は腕組みをする。
                |121ページ
                わたしは変身する。浪費する時間は無限にあると思っている人間から、自分の運命があと何年あろうと、けっして十分ではないと知っている人間へと。
                |173ページ
                かつては不在ゆえに知り得なかった。わたしが彼を知り、彼がわたしを知った今、わたしがこれからの人生を生きるためには、おたがいに相手を追放しあわなければならない。
                |184ページ



                『キス』
                キャスリン・ハリソン/著 岩本正恵/訳
                 新潮クレスト・ブックス 1998年

                 
                | 今日の一冊 | 00:02 | comments(0) | - |
                ArT RANDOM 6 - KEITH HARING
                0
                  この本は、一生のうちで真の答を探し求めているときにやってきた。30年ものあいだ生きてきて、日々はひとつ、またひとつ疑問を投げかけてくるだけに過ぎないような気がする。この本はその探求の証である。

                  ( 中略 )

                  これは愛、人生、死、アート(順番がこのとおりである必要はないが)についての本である。真実のいくつかを明らかにするための試みである。しかし、これまでの人生でわかってしまったように、知ることは同時に新たな、多くの疑問をもたらす。30年経ったいま、私は最初にスタートしたのとまったく同じ場所にいる。

                  キース・へリング
                  1989年4月28日
                  ニューヨーク





                  都築響一さんが京都書院とタッグを組み企画・編集・出版したアートブック『ArT RANDOM』シリーズの6番。

                  キース・ヘリングといえばあの動きのあるポップなイラストで有名ですが、ここでは彼の少し違う側面が表現されています。

                  写真や文字の切り抜きと、彼自身のドローイングをコラージュした誌面。「わかりやすい」とは言えないものかもしれませんが、ここに彼は何を込めたのか。そんなことを考えると、なんだかたまらなく愛おしい気持ちになる一冊だと思います。





                  1989年発行 / A4版ハードカバー 48ページ

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                  | 今日の一冊 | 02:50 | comments(0) | - |
                  読書メモ|ミランダ・ジュライ『いちばんここに似合う人』
                  0


                    わたしというストレンジャーたち

                    一読、一風変わったひとたちばかりが出てくる短編集。strangeな、という言葉がとても似合う人々の豊かな内面、想いを描いたストーリー。

                    妄想たくましいその奇妙さは、読み進めると癖になります。ページを閉じてしばらく経てば、なぜだか次章が読みたくなるのです。

                    その奇妙さはわたしに無縁のものではなく、その奇妙さはわたしの孤独をも呼び出します。

                    ひりひりするような孤独から、爆発するような孤独まで、その熱や摩擦や深淵さは、すべて「誰かとわたし」が産み出すもの。わたしのなかでは届くはずの、届かぬ想い。

                    この愛すべき奇妙な人々は、わたしやあなたの隣人かもしれません。あるいは当然、わたし自身なのかも。

                    ひそひそ話のように綴られる、孤独で優しい「わたし」たち。

                    なんだかふと、この歌を口ずさみたくもなりました。 まるで僕らはエイリアンズ。

                    わたしたちが愛するこの世界に生きる、小さな「わたし」の物語集。


                    引用|
                    「こんな気持ち、身に覚えがあるだろうか。誰だってそうのはずだ。みんなこの世界で自分は一人ぼっちで、自分以外は全員がすごく愛し合っているような気がしているけど、でもそうじゃない。本当はみんな、お互いのことなんか大して好きじゃないのだ。友だち関係だってそうだ。わたしはときどき夜ベッドの中で、友だちのなかで誰のことが本当に好きだろうと考えてみることがあるけれど、答えはいつも同じだ。誰のことも好きじゃない。この人たちはみんな仮の友だちで、そのうちに本物の友だちができるんだと思っていた。でもちがう。けっきょくこの人たちが本物の友だちなのだ」
                    |54ページから


                    『いちばんここに似合う人』
                    ミランダ・ジュライ/著 岸本佐知子/訳
                     新潮クレスト・ブックス 2010


                     
                    | 今日の一冊 | 21:37 | comments(0) | - |
                    今日の一冊|『戦争案内』戸井昌造 著
                    0


                       戦争はコンバットでもなければ、バトルでもない。もっと大きく、つかみどころなく、不潔で、隠微で、だらしなく、気狂いじみたものなのだ。……戦争には「悲惨」や「悲壮」の局面がたしかにあります。しかしそれは、戦争というものの、突出した一部分にすぎない。それらがひり出されてくる底には、圧倒的な「非人間的日常」が重苦しく沈んでいるのです。
                      (戸井昌造)

                      昭和18年12月1日、ぼくは兵隊になった。ちょうど20歳になったばかりだった。第一次学徒出陣・三万五千人のうちのひとりである。兵営でのシゴキやイビリ。追撃兵としての訓練。銃の手入れ。シラミや南京虫とのたたかい。そしてぼくは戦地へと赴いた……。

                      それらの笑うに笑えないミジメな日々を、簡潔な文章とたくさんの自筆の絵によって具体的に語る。戦争に駆りだされた最後の世代からの、戦争を知らない人たちへの貴重な贈りもの。




                      ◇ ご意見ご感想、本の購入希望など、どうぞお気軽にご連絡ください
                      → motionisemotion[at]yahoo.co.jp
                      | 今日の一冊 | 17:48 | comments(0) | - |
                      今日の一冊|『うどんのはなし』山田祐一郎 著
                      0


                        作るひとに食べるひと、それを愛するひと。
                        うどんに携わる「ひと」が見えてくる。そんな一冊。


                        福岡の街にはうどん屋さんがたくさんありました。路地を歩けばうどん屋さんにあたり、夜にはお酒やつまみも楽しめるお店もありました。どこもそれぞれに雰囲気があり、時間とお腹が許すのならば、行ってみたいお店がたくさんありました。

                        この本は、ヌードルライターの山田祐一郎さんが、福岡のうどん屋さん約50店舗を紹介した一冊。

                        単なるガイド本としてだけでなく、うどんの歴史やうどん屋さんを営む「ひと」、そして、その地域に暮す「ひと」が見えてくるような本として楽しむことができました。そして、それを愛する山田さんの姿も、次第に見えてくる。そんな一冊なのです。

                        “うどんカルチャーブック”、その名に偽りなしでございました。

                        そしてまた、福岡のうどんが食べたくなるのです。。。

                        ◆山田祐一郎|KIJI
                        http://ii-kiji.com

                        ※ご購入は、こちらでも。
                        ◆BOOKS KUBLICK ONLINE SHOP
                        http://store.shopping.yahoo.co.jp/kubrick/recommend-070.html

                         
                        | 今日の一冊 | 09:05 | comments(0) | - |
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